ネトゲに必死になってる姿
中の人は、外から見た自分らの姿に気がつかない。
ネット上で形成されているコミュニティでは、傍目を気にせず共通の目的をひたすら追及する場が常に用意されている以上、なおさらその傾向が強いと思う。
UO三国志はまさにその典型で、自主ルールで縛った独自のコミュニティをUOの世界観の中で多少無理矢理実現させている。
企画自体は面白いし、実際参加していて楽しいのだが、最近は何かと息苦しさを感じる。
理由はおそらく、その閉鎖性から来るのだと思う。
新参加者への門戸は開かれているし、実際人の出入りは日々滞ることないが、滞留が長ければ長い程自分達の居心地のよい「場」にしたい願望が生まれてくる。当然だ。
組織は呼吸して日々変化するものであり、あるべき姿も変わってくる。
いつまでも同じ形のままを保つことは不可能であり、変化なく柔軟性に欠ける組織は衰退あるのみで、魅力も乏しい。
それを知ってか知らずか、自分達の理想のRP(ロールプレイ)を実現したいが為に変化を受け入れずルール変更を拒むのは閉鎖的を通り越して排他的になっているではないですか。
そもそも自分の理想通りになることはほぼ無いし、参加者全員が100%満足するルールなどまずアリエナイことはわかっているはず。
前置きが長くなったけど、要は自分の主張を表立ってハッキリと言えと。
反論や自分が泥を被るのを避ける為に裏でコソコソ言うなら辞めてしまえ。
実社会と同じで、なんもアクションを起こさなかったらそれまで。結果がすべてなんですよ。
後ろめたさがあるなら脳内変換に勉めて最後まで黙ってろと。
でも、一番わかってない人が多いのは、自分の意見やRPを主張するからには他者の意見やRPも理解し協調する必要があるってことだな。
痛々しすぎるのでせめて「価値観の違う相手との付き合い方」をもうちょっと考えろと。
不寛容な人ほど自分がそうだと思ってない訳で、「自分がこう考えるんだから、圧倒的多数も同じ風に考えるに違いない、それが一番よい方法なのだ」と思い込みがち。
少しでも反対されるとスグにしぼんだり、ふくれたり、意見の乖離を埋める歩み寄りの努力すらできないのは子供っぽすぎだな。
こう考えるとつくづくウンザリだが、所詮はオンラインゲーム。
ただでさえ時間の浪費なのに、楽しくなければマジで時間の無駄。
もうちょっと融通利かせて面白おかしくやっていこーよ、って思う自分に悲哀を感じる7月の昼下がりなのでした。
何のことだかサッパリわからない人の為に「UO三国志 in Asuka」のWebサイト